右の頬を打たれたら、馬乗りになってやり返しなさい
自分の敵は自分で殺す、どうもわたしです。
タイトルの元ネタはキリスト教の有名な言葉ですが、これを仏教ではどう教えるか、ブッダならどう言うかって考えた人がいるんですが、それによると「頬を打たれないような人になりなさい」という言葉になるそうです。
馬乗りになってやり返すのはもちろんこのわたしであります。(ジョン・ウィックをリスペクト)
今までに何度か日記で触れたことがありますが、わたしは仏教の教えが好きでたまに仏教の本を読みます。
こうしておくと変な宗教の勧誘をされた時に「わたしが信じているのはブッダだけです」と仏教がいかにおもしれー宗教なのかを語ることができるので勧誘を秒で退散させることができます。
やはり知識と教養は自分を守ってくれるので身につけておいて損はないんですね。
ちなみに『ブッダを信じている』と言うのは方便で、わたしはまったく信心深い人間ではありません。
ただ、ブッダの「人生はつらく苦しいものである」という教えにはおおむね頷くことができ、わたしは自分のこの苦しい人生を少しでも楽に生きるためにいろんな教えや考え方を学び、そのエッセンスを自分の人生に取り入れようとしてるってワケです。
そんな仏教用語の中で好きな言葉の一つが『色即是空』です。みなさん一度は聞いたことがあるでしょう。でも、これの意味まで知ってる人ってどのくらいいるでしょうか。
『色即是空』というのは、簡単に言うと「今あるものや手にしてるものは、永遠に続くわけではない」ということです。
たとえば、今好きなコスメや服があったとしてもずっとそれが好きなわけではないし、どんどん新しいのが欲しくなることがあると思います。でもそれって普通のことだし、自然なことなんですよね。
要は、見えるものや持ってるものにこだわりすぎても、それに固執するとしんどくなっちゃうよって話です。
わたしも今すべてのものやことに対しての執着を捨てようとしているところなのですが、何かあっても「ま、いっか!」って軽く流せるくらいがちょうどいいのだろうなと思います。
みなさんも執着を捨てて、楽に生きていきましょう。
自分の敵は自分で殺す、どうもわたしです。
タイトルの元ネタはキリスト教の有名な言葉ですが、これを仏教ではどう教えるか、ブッダならどう言うかって考えた人がいるんですが、それによると「頬を打たれないような人になりなさい」という言葉になるそうです。
馬乗りになってやり返すのはもちろんこのわたしであります。(ジョン・ウィックをリスペクト)
今までに何度か日記で触れたことがありますが、わたしは仏教の教えが好きでたまに仏教の本を読みます。
こうしておくと変な宗教の勧誘をされた時に「わたしが信じているのはブッダだけです」と仏教がいかにおもしれー宗教なのかを語ることができるので勧誘を秒で退散させることができます。
やはり知識と教養は自分を守ってくれるので身につけておいて損はないんですね。
ちなみに『ブッダを信じている』と言うのは方便で、わたしはまったく信心深い人間ではありません。
ただ、ブッダの「人生はつらく苦しいものである」という教えにはおおむね頷くことができ、わたしは自分のこの苦しい人生を少しでも楽に生きるためにいろんな教えや考え方を学び、そのエッセンスを自分の人生に取り入れようとしてるってワケです。
そんな仏教用語の中で好きな言葉の一つが『色即是空』です。みなさん一度は聞いたことがあるでしょう。でも、これの意味まで知ってる人ってどのくらいいるでしょうか。
『色即是空』というのは、簡単に言うと「今あるものや手にしてるものは、永遠に続くわけではない」ということです。
たとえば、今好きなコスメや服があったとしてもずっとそれが好きなわけではないし、どんどん新しいのが欲しくなることがあると思います。でもそれって普通のことだし、自然なことなんですよね。
要は、見えるものや持ってるものにこだわりすぎても、それに固執するとしんどくなっちゃうよって話です。
わたしも今すべてのものやことに対しての執着を捨てようとしているところなのですが、何かあっても「ま、いっか!」って軽く流せるくらいがちょうどいいのだろうなと思います。
みなさんも執着を捨てて、楽に生きていきましょう。