母の話…♩

毎年特定の日を迎えるたびに、
思い出すことがあるすみれです🪴
大きな震災があった日。
神戸であったときは私は小学生で、
東北のときは手をぼきぼきに骨折していて実家にて療養中、
能登半島のときも唯一のお正月休みで帰省をしているときでした。
私の母は元看護師で、
父との結婚を機に退職をしました。
現在はいわゆる潜在看護師です。
神戸の震災の後、
テレビから流れてくる当時の状況…
それを見ていた母は、
「お世話になった先生や関西方面に就職した看護学校時代の仲間は無事だろうか?
医療現場はきっと大変だろう…」
と、常に心配をしていました。
そして、こうも言いました。
「以前みたいに第一線では働けないけれど、声がかかれば迷わず応援に行く。」
私は小学生ながら、
普段は見ることができない母の顔と声を聞いて、
私の中にも何か強い思いが芽生えたのを覚えています。
東北と能登半島のとき、
私は母に同じことを聞きました。
「潜在看護師としての気持ちはずっと変わっていない?」
母の答えは、
「そりゃもちろん。
でも歳をとったし医療技術は物凄く進歩をしているから、現場ではついていけないと思う。
でも、避難所や救護所みたいなところでできることはあると思うから、何かあれば手をあげるよ。」
もうすぐ65歳という潜在看護師として認定されている年齢制限を迎える母。
看護の現場からは離れていますが、
今も人の身体と向き合い整える仕事をしています。
私は看護師にはなれませんでしたが、
(数学が壊滅的にできなかった…💦)
母の強くて優しくてあたたかい志は、
娘としてちゃんと受け継げる人になりたいな🌱
毎年特定の日を迎えるたびに、
そんなことを思い巡らせています。
今回の日記は長くなりました。
ここまで読んでくださったあなた、
ありがとうございます🙇♀️🌸
どうぞみなさまが、
元気に心おだやかに笑顔で過ごせますように…🍀
すみれ🎀
毎年特定の日を迎えるたびに、
思い出すことがあるすみれです🪴
大きな震災があった日。
神戸であったときは私は小学生で、
東北のときは手をぼきぼきに骨折していて実家にて療養中、
能登半島のときも唯一のお正月休みで帰省をしているときでした。
私の母は元看護師で、
父との結婚を機に退職をしました。
現在はいわゆる潜在看護師です。
神戸の震災の後、
テレビから流れてくる当時の状況…
それを見ていた母は、
「お世話になった先生や関西方面に就職した看護学校時代の仲間は無事だろうか?
医療現場はきっと大変だろう…」
と、常に心配をしていました。
そして、こうも言いました。
「以前みたいに第一線では働けないけれど、声がかかれば迷わず応援に行く。」
私は小学生ながら、
普段は見ることができない母の顔と声を聞いて、
私の中にも何か強い思いが芽生えたのを覚えています。
東北と能登半島のとき、
私は母に同じことを聞きました。
「潜在看護師としての気持ちはずっと変わっていない?」
母の答えは、
「そりゃもちろん。
でも歳をとったし医療技術は物凄く進歩をしているから、現場ではついていけないと思う。
でも、避難所や救護所みたいなところでできることはあると思うから、何かあれば手をあげるよ。」
もうすぐ65歳という潜在看護師として認定されている年齢制限を迎える母。
看護の現場からは離れていますが、
今も人の身体と向き合い整える仕事をしています。
私は看護師にはなれませんでしたが、
(数学が壊滅的にできなかった…💦)
母の強くて優しくてあたたかい志は、
娘としてちゃんと受け継げる人になりたいな🌱
毎年特定の日を迎えるたびに、
そんなことを思い巡らせています。
今回の日記は長くなりました。
ここまで読んでくださったあなた、
ありがとうございます🙇♀️🌸
どうぞみなさまが、
元気に心おだやかに笑顔で過ごせますように…🍀
すみれ🎀